父のお買い物

「おかーさん、ちょっとちょっと」
「なに」
「これ。安くて、健康に良いそうだよ。買ったほうがいいよ」
 ふとんの中から、新聞の広告欄を指し示す父。
「あーそうやね。あとで頼んどくわ」
 そう答えておいて、実際には注文しない母。でも父は満足する。すぐに忘れるので、「このあいだのあれはとどいたか?」と聞いてくることはない。
 父が寝込んだとき、大きな介護ベッドをいれるにあたって、部屋の使い方を見直した。スペースを作るのに4畳がいっぱいになるくらいの物品を捨てた。
 時間があったらもっときれいに分類して、畳んで箱詰めして出したのだが、そんな余裕はなかった。あれやこれやをつぎつぎにビニール袋へ放り込んで玄関に出し、全て業者さんに引き取ってもらった。
 父の服や、新品のパック入りの下着、開けていない健康食品や、組み立てていない運動器具。災害用の非常食品(期限切れ)。大量の安い傘。大量の雑誌など。
 私は買いすぎたときは自分に説教している。使うものだけ買いなさいって。
 でも、ものを買うことって生きることでもある。仮に使わないものを買ってしまったとしても。
 父が買い込んだものはどれも父が生きるために必要だと思って、買ったものだった。ホコリをかぶるほど放置したとしても、買うと決意したときは「これを着てでかけるぞ」「これを飲んで長生きするぞ」と思っていたはずなのだ。
 父が何かを買おうとする様子って、元気な頃の父を思わせる。
 もうお出かけできないし、多分そんなに長生きできないけど、お買い物しようとする父を目撃すると嬉しくなる。