モノマネは似すぎてはいけない

「センスの哲学」千葉雅也著をめちゃめちゃゆっくり読んでいる。

第一章に、センスのよさとはなにかを説明するために、絵画の話とインテリアの話が出てくる。

芸術は、写真に近づくことを目指していない。ゴッホセザンヌも独自の線が横溢していて写真にはほど遠いが、それがいい。芸術家の衝動が先にある、それがよい…という話から、すべての芸術はヘタウマである、と言い切っていた。

インテリアでは、いい感じのアンティーク風を目指してアンティーク「調」の家具を買い集めると、ダサくなったりする。アンティークとアンティーク調は違う。アンティーク調は、そのもの自体を肯定していない、アンティークのなり損ないでしかない。一度「何々風」を目指すのをやめて、そのもの自体の良さを自分の身体で感じながら、家具をえらんでみてはどうかという話。

あとは、コピーバンドを頑張ってる限りメジャーデビューはできなかろう、という話もあったな。

というところまで読んで思い出したことがある。妹が数年前ネットで読み超絶同意していた意見だ。「○○○○のするモノマネは本家に似ているが全然面白くない、グッと来ない。だが、レイザーラモンRGのモノマネは本家にほぼ似てないのにある意味では非常に似ており、むちゃくちゃ笑える」という話。これも上の話と同じではないだろうか?

本家と全く同じ人間になっても、親戚ですか?という話である。要するにモノマネ芸は100パー似てしまってはかえって面白くない。自分が、本家のどこを面白く感じ、「ここを再現したい!」という衝動を感じたか、そこが芸の源泉なんだと思う。

という話は、多分お笑いに詳しいかたなら当たり前に知ってることなんだと思う。デフォルメのしかたが大切ということですもんね…。でも、なんか、センスの哲学のヘタウマ理論できれいに説明できて嬉しかったのと、モノマネという「似せなければならない」芸が実は「似すぎてもいけない」という逆説が面白くて、ブログに書いてみました。

センスの哲学、第一章読んだだけで相当面白くなって人にちょっと言いたくなっている。続きがまだまだあるので楽しみです。