「デッドライン」面白い

哲学者の書いた小説「オーバーヒート」に続いて「デッドライン」を読んでいる。すごく面白い。

めちゃくちゃ頭の良い学生のありふれた生活を描いているのだけど、主人公は、性指向を中心に、周囲に小さな違和をしょっちゅう感じている。

時折現れる、修士論文の指導教授との対話が好きだ。博学でありながらすべてを語らず、しかし適切なヒントを渡してくれる先生。主人公は手がかりをしっかりつかむ。ゼミの1シーンではなくて、時を止めて神と対話してるように見えてくる。

学生生活を読み進めるうち、ゼミで語った疑問が日常生活にもしみ出してゆくのがわかる。電話で受けた見知らぬ相手からの拒絶、予期せぬ客、友人の映画のために作った音楽、深夜に親友とでかけるドライブ、発展場のマジックミラーと自分の服や携帯電話の色、などなどが、主人公の心のうちを暗示して、暗い夜と明るい木漏れ日のように交互に私を照らす。日常生活もまた、ヒントに溢れている。

私、こういうふうに自分の学生生活を書けるかなぁ書けないよなぁと振り返ってしまった。主人公は世界と自分の違和について考え続けていた。彼の一見ありふれた学生生活には、「自分と世界」を見つめるひとつの視線があった。だから、小説になるのだと思う。

私の大学生活ってなにも考えていなかった。自分の服や携帯電話の色の選び方を自覚的に掘り下げたこともない。なるべく批判しないようにしていて、ぼんやりした学生で、「ぼーっとしてると楽」と思っていた。実際どんなふうに時間を使っていたのかもよく思い出せない。

それとも、奥底ではなにかを考えていたのかしら。考えていたと思いたい。「怠けていて、どうしようもない学生だった」「漫画だけ読んでた」ということ以外になにかなかったんか。たどたどしくても何かを書いていれば昔のできごとの意味も見つけられるかしらと思う。

小説の続きを読もーっと。

男装の麗人的書店員さん

朝ドラの主人公の同級生に、女性だけれど常に男もののスーツを着て、髪もピッタリなでつけ、まるで男装の麗人のような人物がいる。

主人公はこの人に「素敵、宝塚みたい!」と声をかけて怒鳴られる。彼女は明治時代、女性が虐げられていることに強い怒りを抱き、男性に負けたくないと願い、男の格好をして法学部にいるのであった。

この人に、まじでそっくりな人を知っている。いつも通っている本屋の店員さんである。背が高く、細面でキリッとして短髪。その書店の制服は男女共通だが、その人が着ていると男装に見える。シャツにベストにパンツ、誂えたようにぴったりだ。

表情は常に一定で、口元が少しほころんだり、目元が笑みを浮かべたり、全く見たことがない。接客において敬語を絶対に崩さず、余計なことを言わない。レジが混んでいようがすいていようが、レジ打ちとカバー掛けの所作に無駄はなく、常に最短スピード。まれにあまりにも混んでるとすこし声が大きくなるけど…。

私はよくネットを通じてこの書店で本を取り寄せる。一度、この人に「本の取り寄せをしたのですが」と言って自分の名前を伝えたあと、「本のタイトルをお願いします」とメモをかまえられて、はたとタイトルを忘れてしまったことがある。「あ、なんだっけ」と言ったら、彼女は1秒待ってため息をついたあと、すぐレジ裏のスペースに消えた。ほんっとにニコリともせずに…。

注文者の名前だけでも本を取ってきてくれたけど、以来、本のタイトルのスクショ画面を「絶対に」用意することにしている。恐いもん。

先週、また本を取り寄せて、スクショ画面を見せながら、「〇〇と申しますが、この本を取り寄せたんですが」と声をかけた。彼女はレジで何か事務作業をしていたのを中断して、本のタイトルのメモを取ってくれた。「…の…」タイトルを口の中で唱えつつ大きな字でメモしてくれる間、まじまじと顔を見ることができた。珍しくメガネをかけている。細いプラスチックでブラウンの、少し丸みを帯びた四角い縁。おしゃれなもの。

事務作業の間かけるってことは、老眼鏡なのかなぁ。若い気もするけど、年齢私と同じくらいなのかもしれない。

またしても、一切の愛想なく、そして一切の乱れなくお会計、カバー掛けをしてくれたけれど、彼女の無表情には、けして能面のような硬さは感じないんだよな。それこそ、朝ドラに出てくるキャラクターのように、この人はなにかに耐えているのか、なにかを押し殺しているのかとつい想像したくなるんだよな。

なんて、本屋の客にんなこと想像されてたら店員さんは恐いよな。でもあの店員さんが急にいなくなったりしませんように、と思う今日このごろなのだった。

 

追伸

明治じゃないじゃん 昭和初期じゃん…

SNSののどかなフィールド

けらえいこさんの、あたしンちのベスト版を読みおわり、続けてほかのも読みたくなって、けらさんの古いエッセイ「セキララ結婚生活」を電子で買って読んだ。

ちょー久しぶりに読んだけれど、やっぱり面白かった。エピソードに出てくるちょっとした女性のキャラがワンレンボディコンだったりして、時の流れを感じる(大学の後期試験の帰り道、「絶対落ちた…」という重い確信を抱きながら駅の本屋で立ち読みしたのが、けらさんの「いっしょにスーパー」であった。落ち込んでいたのに、そんなの関係なくどんどん読んでしまい、なんだこの面白い漫画は!と思った)。

この中には短編エッセイがいくつも収録されているのだが、終わりの方に「結婚の理由」という話がある。

けらさんの夫さんが深夜、ビデオを返しにいき、黄色いレインコートを翻してチャリを飛ばしていると、酔っ払ったおじさん二人に「黄金バットさ〜ん」と呼ばれた。家についてから、パートナーのけらさんに「聞いてよ、今さ…」と笑いながら話す。でも、もし、家に誰もいなかったらどうだろう。こんな話は翌日思い出して誰かに話すほどではないから、自分一人がクスッと笑って終わりだろう。

ほんのちょっとした出来事を共有して笑いあえることは楽しい、それが結婚の理由だ、という話だった。最後の1コマがすごく小さくて「まーそれだけのことなんですケド…」と照れたように書いてあるのもめっちゃよかった。

この話は始めて読んだときも印象に残っていてよく覚えている。そっかーこれが結婚の良さかーとか思ったものの、結局私は独身のままである。

今は親にちょっとした出来事を話して笑ったりしてるが、いずれ両親はなくなり一人暮らしになるだろう。そしたら、ちょっとした出来事ってSNSで共有して満足するしかなくなるのかなと思う。でもSNSってたまに、なんやそれみたいなリプがつく。

上の例だったら

「レインコートということは小雨が降っていたのでしょうか。そんななか自転車をとばすのは危ないです」

とか

黄金バットは〇〇年から□□年に放映されており、再放送から考えてもおじさん達が観ていた可能性は低く、この話は作り話ですね」

なんていうリプがついたら、私はなんだかがっかりして、その後は小話の共有をしたくなくなるだろう。

そんなわけで今から10年、20年後、私がもっと年を取ったときに、SNSに、まだのどかなフィールドが残っていることを真面目に願っている。

 

ローカルの人付き合いをサボりまくった結果

学生時代の同級生と久しぶりに話す機会があった。おもえば、高校時代は脊髄反射的な会話しかできなかった。こう言われたからこう言った、というただそれだけの会話だ。内容だって、なになにのテストがさー、とか誰それさんがさー、とか。その日の出来事と噂話くらい。

なんか、そういう話しかしてなかった人と、とんでもなく久しぶりに話すと相手の大人っぷりに驚く。

隠れ家的な美味しいお店を知っている。お店の人とお友達のように話す。お店の人に私を紹介してくれる。お店で売ってる調味料を私にお土産に買ってくれる。

すいません。ほんとすいません。私これら↑のこと、全くできません。

ほんでその人の空いたグラスにビールを注ごうとしたら、「注ぐの下手そうだからいいわー」と言われて自分で注がせてしまった。

いっぱい話したのだけど、相手はほぼ仕事の話。聞いてくれるから私も話してしまった。

で、料理って作ってる?なにかの流れで聞かれて「作らないよー。実家住みで、ただいま~って帰ったら、母のご飯か買ってきたお惣菜食べてるよ…高校時代とあんま変わらん生活よ?」と言ったらめちゃくちゃ笑っていた……。

もしなにか困ったことがあったら、良い弁護士さん紹介してあげるから、とも言われたな。幸い弁護士さんにお世話になる機会は、今のところないのだけれど。

私の仕事って汎用性のない仕事である。ニッチで、私には人脈もない(困ったときは紹介してあげるからとか、できない)。話も別におもしろくない。鋭いわけでもないし。自宅でも日々昼寝してボケーッとして、気が向いたら文庫本読むくらい。こんな本読んだよーみたいな話は飲み会ではあんまりできないしなぁ。

この人は何が楽しくて私を飲みに誘うのかと思ってしまった。地域社会を大切にしたいと言っていたから、むしろ、地域のお店にお客さんをちょっとでも増やそうと思って誘ってくれてるのか?仕事柄すべての人付き合いが仕事に繋がりうると言っていたから、広い意味での営業なのか。

人付き合いをさぼっていると、久しぶりに人に親切にされたとき、異常にびびってしまう(普段ネットでよく話してる人は別)。何を見返りに渡せばいいのか、なにもないぞと警戒してしまう。急に家に入れられた野生動物みたいな感じか。

とにかくあんまりリラックスできないのであった。

小冊子Link春号のお知らせ

コワーキングスペースおおたfabさんから、小冊子 Link vol.15春号が発行されました。

おおたfabを利用する市民が作った、エッセイ、漫画、ショートストーリーなどが載っています。

リンク先から読めます。よかったらどうぞ。私も書いてます〜。

 

Link vol.15 春号(テーマ:芽)

https://ot-fb.com/community/9779/?fbclid=IwAR3mk2slRD7z4dPFbNK0J4q5vYZTqQaGupUmHqh4zyunOQRX-SxqH7sAsGQ

膀胱洗浄

注意 シモの話


寝たきりの父は尿道カテーテルを入れてるのですが、たまに尿路感染でおしっこがにごります。抗生剤を4日ほど飲めばきれいになりますが、3週ほど経つとまたにごります。

カテは基本的に2週に1回交換で、にごりのせいで管が詰まったときは臨時で交換してもらいます。父の尿道は狭いため、看護師さんだと交換が難しく、主治医が交換してくれます。入りにくいので通常より細いカテを入れてくれます。

という事情があり、尿が濁ってきたら「週1、2回、娘さん(わし)が膀胱洗浄してください」ということになりました。2回ほどしましたがあまり効果なく、結局いつもにごってきたらカテを交換しています。

さて、最近しばらく落ち着いていたのですが、2日前にまた尿に白いフワフワが少し出てきました。

そしたら看護師さんに「にごってきたのですから、娘さんが膀胱洗浄してください」とちょっと注意されてしまいました(そして、カテは交換してくれなかった😭)。

膀胱洗浄、正直めんどくさいです。洗浄用のシリンジなど道具は買えたのでいつでもできるのですけど、気が重い。

いや…たまにでしょ?そんくらいやれや…て思うでしょ?だよね…私も思うよ…けどさー…

まあ、わしの甘えか。まあこーゆー、小さい我慢の積み重ねが家庭での介護なんよね。母は食事介助と声掛けとおむつ変え頑張ってるので、膀胱洗浄はわしがやらにゃ(おむつ替えは妹と私と母の分担で、二人組になってやってる。1人だと心折れる。1人でおむつ替えてる方、尊敬する)。

そんくらいお前1人でやれって話なんですけど、えーん…尿の計量がようやく毎日のスケジュールに定着してきたのに…

栄養士さんが、尿路感染予防に効果あり、と言うので、ビタミンC入りのスポーツドリンクを飲ませていて、最初よりはにごりにくくなってきた。あとは、クランベリーも良いそうで、クランベリーゼリーを試食させたところ「まずい、食いたくない」と。しゃあないのでクランベリーサプリメントを注文しました←今ココ。

ちょっと愚痴でした。もし読んでくれてたらありがとう。

つかいどころ

小さな会社立ち上げから、長く、ともに走ってくれていた従業員が退職を申し入れてきたという。退職理由は、「もっと自分の〇〇を活かしたいから」。

「何が気に入らなかったっていうの?一体私の何がいけなかったというの?あれとこれとそれを頼んだのがよくなかったの?」

…という嘆きを全然関係ないとこから眺めるにつけ、あ!これはアレだアレ…課題の分離だがや!…と思った。

そもそも、その人が何を思って会社の仕事に邁進してくれているのかは、その人でないとわからない。会社の理念に共感してくれているのかなんて、心の中までこちらは支配できない。

理念ややりがい以外にもいろんなことがその仕事をする理由になる。給料とかそこにいる人が好きとか、単に楽しいとか…。

それに、人は会社と関係ない理由で退職することがある。

したがって、退職したいと言われても、それはそういうこともあるだろう、くらいに受け止めるしかないのではないかと思った(会社に苦情があった場合は別)。

その人の転職はその人の人生の課題として片付けてよいかわり、こちらも会社の存在意義が否定されたような気持ちにならなくてよい、と思った。

…と考えて、気づく。「嘆く経営者」はしばらく前の自分じゃん。

以前、うちの従業員から給与の値上げ交渉をされて、慣れない私はだいぶ動揺した。その時の自分は、この経営者とまるっきり同じく、グルグルしてたと思う。

というわけで、私が、この経営者に、上から目線で「そこは課題の分離をされては」とか、とても言えない…。

人のことだと、格言とか、解釈モデルの使いどころがわかるのに、自分だとなかなかできない。