諦め

認知症当事者のかたの闘病記(日記を編集したエッセイ)を、昨夜途中まで読んだ。

 

父が認知症だから、目に入って買ったのだけど、もんのすごく面白い。病気の種類に関係なく面白い。人が自分の変化に気づきどんなふうにもがくかが克明に記されている。うっかりすると、一気読みしちゃって寝不足になると思い、慌てて本棚におさめたくらいだ。

 

読みながら、私にはできないって思った、私は介護当事者だけれど、目の前の介護について、仕事で使うくらいのしつこさ、気力を出してないなと思う。

 

今、父の介護は「ああ、徐々にこうなっていくのか」という道が見えてきたところ。最後はこうなるのかな?というのがだいたい想像がつくようになった。

 

そのときどきで、できる範囲で良い選択をしようとは思っている。

 

今日、父は私の名前が言えなかった。それほどショックでもない。そうかー、わからないかーと思った。

 

道を選ぶにつけ、いちばん大事なのは母だ。父本人の言うとおり、母あっての父なのである。そのへんについては迷いがない…なんだか、全体的に子として父に冷たいだろうか…。

 

父が立てなくなったときはとてもショックだったけど、今はそうでもない。ふんわりとした諦めがある。どうにもならないことってある。諦めって悪いことばかりでもない。

 

母が病に伏したらまた、違う感じなのかもしれない。つまり、私が、もっと諦めが悪くなるかもしれない。