「本が好き」の謎

このところ本が読めていない。漫画なら、うっかり2、3冊くらい(もっとか)読んでしまうのに…。

 

にもかかわらず、自分の中には厳然と「私は本が好き」という感覚がある。なんだこれは。

 

ツイッターで誰かのおすすめ本ツイートに出会ったら、「うおっ」と言ってスクショし、その後注文して、いそいそと近所の書店に取りに行く(ビバ、地元の書店。つぶれないで!!)。やや面倒なプロセスだが、これが一切苦にならない。スクショしてる段階で、すでに顔が笑っている。

 

それとは別に、幸運にもリアル書店で偶然ステキな本をみつけ、「これはぜひ自分のものにしなくては!」とレジに持っていくこともある。スキップせんばかりの嬉しさだ。

 

さて、レジでお金を払い、カバーを掛けてもらい、大切にカバンに入れ、持ち帰る。紙の厚み、重みさえ、嬉しい。

 

バスの中とかでチラ読みすると、本の全ての文字が自分に関係あるもののように思える。パラパラと開くページ開くページ、どれもが面白く思える。

 

ところが。

 

なんだろうな、部屋に持ち帰り机に置くととたんに開く気がしなくなって、読めなくなるのだ。どうしてー。

 

真剣に、部屋の環境がおかしいのではないかと思った。生活の場だからペンとか輪ゴムとかも転がっている。余計なものが多すぎて気が散るのかなと思った。

 

で、せめて自分の机の上だけでもすっきりさせようと片付けるじゃないですか。だめ。きれいすぎると今度は落ち着かない。本をひらいてもそわそわしてしまう。

 

なにも、机で読まなくてもいいじゃんね、と布団にもぐって、本を開くことにする。すると、まあ予想通り、寝てしまう。で、あきらめてちょっとスマホでネットを見るではないですか、そうするとちゃんと起きていられる。

 

でも依然として本が好きという感覚はある…。

 

書きながらわかってきたのだが、もしかして本を買うことが楽しいだけなのかも。好きな本を自分のものにするのが楽しいのかも。でもコンプリート欲はそんなに強くない。コレクターとは言えなくて、ハンターなのかも。

 

もう、それでいいです。ブックハンターと読んでくれ。

 

追伸

スタバに本を持っていってコーヒー飲みながらだと読める。たくさんは読めないけど…。

 

追伸2

読まない本を買うなんて…。私もそう思う。でもまあ、酒もタバコも人付き合いもやらないので、本くらいいいか、て感じです。

 

追伸3

うちに集ってる本たち。いつか、リタイアしたら読める、という一縷の希望があるから、まだ生きた本て感じがする。…ほんとに全部読めるのか?て我に返ったら、本が墓標みたいに見えてくる…。