時をとめる

 

お茶を飲むということは時間をとめることだ、意図的に生活を停滞させることだから、と江國香織が「泣かない子供」で書いていたらしいです。ツイッターでみかけました。
 
本を読むことも時をとめると思う。長時間没頭することはなかなかできなくなったが、ほんの二十分、自分の生活に関係ない世界へ心を持っていかれたら、二十分間、時をとめたことになるのではないか。
 
役に立たないことに没頭することがいかに瞑想的か、という話に持っていくべきかもしれないが、連想は全然関係ないSFへ跳ぶ。
 
ズッコケ三人組シリーズで昔読んだ。小学校の音楽室の鏡がタイムマシンの入り口になっている。主人公の三人組は鏡を通じて、江戸時代へと移動してしまうのたが、当時の私が何度も読み返したのは、タイムトラベル部分ではなく、物語の最後の方、その鏡の持ち主である音楽の先生との会話だった。
 
先生は主人公たちに尋ねる。
「ねぇ、私は何歳だと思う?」
「23歳くらいですか?」
と答えると、先生は寂しくほほえむ。
「12歳よ。君たちと同じ」
とある使命のため過去と未来を何度も行き来するうち、通常より多くの時間を体験したため、先生は他の子供達の倍もの歳をとってしまったという。
 
12歳の私は戦慄した、タイムマシンを使いすぎてはいけない。行ける時間は無限でも、人間の体が耐えられる時間は有限なのだから。今思い出してもちょっと怖い話だ(こーゆーとこがズッコケシリーズのいいところ)。
 
何の話だ?
 
お茶を飲んだり本を読んだりすると、たしかに現実の時は止まる。頭が別の世界に行くからだ。でもその間も、自分の心臓は確実に時を刻み続ける。
 
現実にずっととどまり続けるのは苦しいので、時を止めて別の世界、別の時間に行くのは私にはやめられない。しかしそればっかりやってると、タイムマシンの使いすぎと同じでいつのまにか倍の年齢になってたりする。「なんだか、10年があっという間ねぇ…」というやつだ。
 
こわい。あほなブログを書いて時をとめてるうちに、今年ももうすぐ、梅雨が来る。
 
追伸)
「泣かない子供」江國香織
 
Kindleになってる!
「ズッコケ時間漂流記」