安請け合い

90年代の古い学園ドラマを観ていたら、こんなエピソードがあった。

若い先生が、担任していない学生からたびたび相談をもちかけられる。若い先生は頼りにされるのが嬉しくて、「なんでも言って」「いつでも相談にのるから」的なことを優しい満面の笑顔で何度も言う。

その学生に関わるうちに、実はその子の家庭内には非常に深刻な問題が隠されていること、また、その子は亡くなったお姉さんの面影を若い先生に重ねて甘えているのだ、ということがだんだんわかってくる。

若い先生は、ベテランの担任の先生に報告し「私には荷が重いようです。担任の先生にお任せします」と話す。その結果学生は傷つき「もういいです」と若い先生に捨て台詞を吐く(その後担任の先生ががっつりと関わり、その子は一番つらい時期を乗り越えることができた。そのがっつりぶりがまた、がっつりすぎて現実的でないように思われるが、これはまた別の話)。

わー、わかるーと思ってしまった。よく考えず安請け合いして、後で自分で対処できなくて海よりも深く後悔したことが私にもあった。大昔、社会人になりたての頃に。

言い方は悪いけど何度かひどい目にあって、だんだんと安請け合いしなくなった。安請け合いして途中で「やっぱ無理」って放り出すほうが相手に悪いから。いったんひきうけたぶん、相手のダメージも大きいと思うから。

最初に話を聞くと、相手に共感してしまうけれども、今はそういう自分を冷静に見ている自分もいて、100%の共感には飲み込まれない。そして何か難しそうなことを引き受けるときは、予防線を張りながら引き受ける、もし○○という事態になったら私には無理なので××しますよ、と言いながらひきうける(かっこ悪いけれども)。

「自分にはできるだろう」「無理だろう」というのをシビアに見積もるので、自分を見限っているとも言える。仕事のしかたとしてはつまらない部類に入るだろうし、成長もしにくい。

でも、前に「モチモチの木」の本の話で優しさについて書いたけれども、相手に「助けてくれるのでは」という不可能な期待を持たせることは優しくないと思う。役に立てないときはそのように振る舞うほうが優しいと思うんですよ。一見優しく見えなくても。

なんてことをドラマの1エピソードからつらつら考えた。(できることの多くない社会人として、おらはそういうふうに生きているという話でした。同じ職種でも、「絶対大丈夫です」と太鼓判を押す人もいます、そのような形で問題なく仕事できるかたもたくさんいらっしゃるんですよね。まじ尊敬します。)


追伸)

このドラマは金八先生第5シリーズです