成仏シリーズ(7)

前回の投稿に何人かのかたが反応くださって、ありがたかった。昔話を読んでくださってありがとうございました。

書き出したり、反応やコメントをいただいたりすると、まーなんか、親も人間だよなということに気付かされる。よく考えたら、当たり前だよな。一瞬たりとも不機嫌にならない親なんて、この世に存在しないわけで……。

先日、本を読んでいたら、実際の親が支配的な人だったかどうかは問題ではなく、親のどんな影響力を自分に内在化させたかが問題なのだ、ということが書いてあって、そうかと膝を打った。

というのも、同じ親に育てられたのに、妹は父にあまり怒りを抱いていないようなのだ。父は私の学業への取り組みや進路選択において陰に陽に多大な影響力を及ぼしたし、それはほとんど支配だと感じるほどだった。さらに「オマエは俺のおかげで大学受かったんだ」と言われるに及んでは、まったく〝噴飯もの〟であったわけだが(一部は父のおかげではあるけど)、妹はそんなことはなく、ぜんぜん噴飯する気配はない。

それはどういうことかっつうと、妹は私とは違う「父」を内在化させているんだろうな。

父は変わり者であって、オレは伝統にはとらわれない!みたいなことを言って、妙なやりかたを考案したりした。

たとえば七五三だが、うちはフル無視だった。特に不満はなかったけど、どうして七五三のお祝いしないの?と聞いたことはある。そしたら「心のなかでは祝ってるんだ!」ということであった。

それはいい。変だったのは正月のお屠蘇だ。うちは当時、4-4-20という住所に住んでいたのだが、この住所にちなんで「お前たちはお屠蘇を4回、俺とお母さんは10回ずつ口に含むことにしよう」と言い出してわけわからなかった。こういうとき、言うことを聞かないと父は超絶不機嫌に(というか、ものすごくしつこく)なるので、従った覚えがある。

さらに、私の生まれる前、こんなことがあったと母から聞いている。当時うちの職場はビルの3階にあった。火事になって避難できなかったらどうしよう、と思い詰めた父は、ある日突然、避難用の縄梯子を買ってしまう。そして、ともに働いていた母、同僚の皆は縄梯子を使って3階の窓から降りる訓練をさせられたという。それ、一周回ってかえってめちゃ危ないだろ…今なら何の資格もない人が命綱もなしにそんな訓練をするのは法律違反だろう。なおかつ、母によると、その訓練当日に父は不在だったという(高所恐怖症なのだ)。なんやそれ…。

というような(ほかにもあるが)父の変人エピソードを、妹は十代の頃から友達に披露して、笑いを取っていた。私は若い頃はとてもそんな気になれなかったな。ひたすら圧迫感が強くてクセがあって、全然面白くない父親と思ってた(今はネタにさせてもらっているありがとう)。妹は子供の頃から父のおもろさ、独特のかわいさをわかっていたわけで、ほぼ同じ育ち方をしているのになぜ親の違う面を内在化させたのか、不思議だと思う。

まーでもあれか。長女と次女の違いか。長女育てで「そんなに思うようにいかないものなのだ」と学んだ父が、2番目の子育てでやや諦めることによって、妹への声かけなんかが私のときと微妙に違ったのかもな。妹も私の振る舞いを見て学習しただろうし…。

まとまらないが、おわり。