さらに続き

2024/01/31

2日ブログを書いたけれど、バックグラウンドで全然別のことも考えていた。

ある人がお金を出して一つのプロジェクトを始め、周りに仕事を請け負う人たちが集まったとする。(こう言いかえてもいい: ある人がお金を出して、あるものをつくり、まわりにそれを好む何百という人々がお金を払って集ったとする。)

この場合、「ある人」は出資者でありルールメイカーであるため、構造的に「ある人」と「集う人々」の間には権力の勾配が存在する。

さてそこで、周りに集う人々のうち一人が場のあり方に疑問を感じ発言したとする。「この場の〇〇は△△にしたほうがいいと思うんです」。

この発言は、場を乱すものであり、悪なのだろうか?あるいは子供のようなわがままな戯言に過ぎず、無視されるのが当然なのだろうか?

私が実際に目撃したところでは、発言した人にはよく、次のような言葉が浴びせられる。

「〇〇が当たり前だ」
「そんなこと言うなんて頭が悪い」
「今までの恩をなんだと思ってるの」
「けんかはよそでやってよ、くだらない」

「あなたをみそこなった」
「ここが嫌いなら出ていけ」

声を大にして言いたいが、ルールメイカーと異なる意見を言ったからといって、発言者が抑圧される筋合いはないのである。暴言でない限り、どんな場所でも発言は一つの意見として扱われるべきだ。

ルールメイカーがルールを決める、もっともだ。ただ、ルールメイカーに一言の意見も許されないなんて、そんな話があってたまるかと思う。

その場を信じたいからこそ発信された意見が消される。あるいは消さざるを得ないところまで、発言者が追い詰められる。

同じだ。遠い世界、メディアのなかで報じられていることと同じ現象は、すぐ近くでも起きている。

 

追伸

ルールメイカーが資本主義のこん棒を振り回す限り、集った人たちはルールメイカーと対等なコミュニケーションはできない。