だいぶ前、とあるクライアントさんがきたけれど、うちで何もできることがなかった。それで率直にそうお話したらわかりましたと言われた。それだけだと申し訳ないので、なにか話そうと思って無理やりこんな話をした。
「〇〇はどうにもできないが、〇〇に関わる以外の時間はあなたの時間です。〇〇をなんとかするのを目標にするのではなくて、〇〇はある程度許容しつつ、それ以外の時間を充実させ、いい人生を送ることを目標にしてはどうか」。
苦し紛れに話したことだけど、話しながらこれ意外と大事だよな〜と思った。普段、自分のところのクライアントには言いづらい。言い訳にしか聞こえないから。そして、話しながらこの話はブーメランになって自分にもぶっ刺さってるなと思った。
要するに、うまくいかないこととか、どうにも気分のよくない日、何もする気の起きない日もあるが、そういう日はそういう日として許容しつつ、それ以外の日はまた楽しもうとしてもいいのではと。
今日やる気がでなかったからといって「もう私の人生死ぬまでマンネリ」と決める必要はないということだなーと。
0か100かという思考はあらゆるところで私を蝕んでいて、輝けるレアな存在になれなければもう取るに足らない存在なのだと、つい思ってしまう。今までの生活でそういう思考が身についてしまっている。そういう思考を脱ぎ捨てようとしながら脱ぎ捨てきれずに中年になった。
周りの評価もそう。今日1人に見下されたら、うんそうだよね、だから私は駄目なんだと思いがち。もうこういうのが染み付いてる。
100に認められる存在ではないけど、でも認める人が0人の存在ってわけでもない。今日はそう思えるけど明日はそう思えないのかも、またどんよりしてしまうのかも。まーそんなふうに浮いたり沈んだりしながら、何者でもなく、ささやかに輝ける私の人生を死ぬまで生きようと思う。