繰り返し

ある人から要望があったとする。その人を巡る状況は決して悪くない。しかし、その方は更に良い状態を求めて、そうできないのか、なぜできないのか、とたずねる。

更に良い状態を目指すにはいくつかの条件が揃う必要がある。私はそれを説明した。残念ながら今すぐその条件は揃わないという。なんとかならないかというが、私にはどうにもできない。条件を無視すると一定の割合でとあるリスクがあるからだ。

今のところはこのまま行くしかないですとお伝えし、その人は多少不満そうながら、その日の話は終わる。

その後しばらくして、その人から同じ質問があり、「きっとまだ気待ちのほうが受け入れられないのだろう」と思い、前回話したことは忘れたふりをして同じお話をする。

さらに間を置いて、また同じ質問があり、気持ちがまだ…と思って同じようにお話し、同じ流れで会話は終わる。

そして、その後さらに、間をおきながら、同じ質問を何度もくりかえされる。話すとわかってくださる感じはある。にも関わらず、同じ質問を繰り返ししてくる。ああ、これは怒りをぶつけるかわりに、繰り返し質問をしているんだなと伝わってくる。

さすがに、同じ話をしたことを、忘れた振りができなくなっている。どうしたいですかとたずね、他の人にも話を聞いてみてはどうですか、と何度か勧める。しかし、そんなことは意味がないという…。

というようなことを何度か経験しているが、こういう時、こちらは、全く動じてないように話をしたほうがいいのだろうか?それとも、正直に動揺を見せたほうがいいのだろうか?

昔は動じてないほうが良いと思っていたのだが、今は動揺を見せても良いのではと思うようになった。「判断は変わらないが、繰り返し聞かれることには困惑している…」という雰囲気は伝えて良いと思っている。

なぜなら、相手は私が相手の意に染まないことを、ふつ〜に説明しているのが不満なのに違いないからだ。私にも同じように悩んでほしいのだろうと思うからだ。

仕事を続けてきて、相手の意に染まないことを説明する経験をずーーっと積んできている。ぶっちゃけ駆け出しの頃は心臓バクバクで伝えていたことも、今では言葉は選びながらも動じずにお話することができるようになってしまっている。

動じないことは基本的にいいことなのだが(いつまでも心臓バクバクではやっていけない)、淡々として見えると「一緒に考えてる感」が、相手に感じられないのだろうなと思う。

動じないほうが頼りになると思ってくれる人もいるし、色々ではあるけれども。

なんていう話も、職場ではあまり話題にもならない。いちいちこんなん書いてるほうがおかしかったりする…。

特に結論はないが、オワリ。