現代思想入門(千葉雅也)をものすごくゆっくり読んでいる。
脱構築すると、「どっちもどっち」「時と場合による」みたいなことになって、結局何も言えなくなるのでは…というつっこみは、既に本書の中でなされている。
それはそうなのだが、現実の社会では結局人はなにかしら行動しながら生きていくしかない。何にせよ、二項対立のどちらかに決めるしかない。
その時、取らなかったほうの選択肢に対して必ずわずかな未練が残る(本の中では「未練の泡立ち」と表現されていて美しい)。その未練を他者性への未練と呼んでよいらしい。わずかな未練を無視しないのが現代思想のデリダ的な態度らしいです(このへんまだ理解できてるかあやふや)。
未練を無視しないなら、別の機会に、選ばなかった選択肢の埋め合わせをすることもできる。
だから、客の服装を一瞥で選別するウェイターさんが、仕事以外ではどうでも良さそうにテキトーな服を着ていたら面白いなと思う。
そーゆー形で、選別される側(服がイケてない他者)への未練を埋めあわせているウェイターさんがいるかもしれないと思うのである…。なんてな。