いったん破壊する

千葉雅也さんの「勉強の哲学」を読んでいる(新書の「現代思想入門」が途中で止まっていたが、「勉強の哲学の後に、現代思想入門を読むとよい」という話を見かけて、こっちに鞍替えした)。

で、「勉強の哲学」のはじめの30%を読んだだけで、びっくりしている。

(以下、自分の語彙で説明できるか試したいので、引用でなく思い出しながら書かせてください。)

勉強するというと、一般に、今までの自分に新しい知識が少しずつ付け加わっていくイメージだが、それは違うという。今までの安定した自分をいったん破壊して、あらたに構築し直すのが勉強だ、という。

というのは、勉強し始めて、新しいルールを言葉で知ると、今までのルールの下でノリよく安定してとっていた行動が、なんだか愚かなものに思えてくる。そのため、どうしていいかわからなくなる。ノリよく行動できなくなる。これが破壊。

その後、新しいルールが言葉だけでなくて、自分の尺度として使えるようになると、新たなルールのもと、ノリよく新たな行動を安定的にとれるようになる。これがあらたに構築された自分。これこそが勉強の効果だという。

思い当たることがある。実は私は、仕事に無関係な本なら楽しく読めるのに、仕事関連の本だと読むのが超・苦痛になるのだ。さらに、苦労して読んでも、なんだかあまり仕事に応用できず、すぐに頭から消えてしまう。それでしかたなくまた、苦痛を感じながら読む…ということを繰り返していた。ここ5,6年はずーっとこんな感じだった。

個人的に、この現象は、①自分も年だからしかたない②ここから先の勉強は、微差に興味を持てないとつまらないのかもしれない、と理由を付けていた。

しかし、「勉強の哲学」を読んでいて思った。ほかにも理由があるかもしれないと。

「自分の仕事が今知ってるルールだけでよく回っていて、安定しているから、それをわざわざ破壊するのがいや」なのではないか?それが勉強を苦痛に感じる理由ではないか?と思ったのである。

とりあえず、まだ全然途中なのだが、「今の安定状態を破壊したくない」と自分が思っているらしい、と教えてもらっただけでも、かなり衝撃的だった。心して続きを読みます…。