皮膚に水がつく

今朝母が、父がやっと風呂に入ったと耳打ちしてきた…。

○日ぶりか。ちゃんと一人でシャワーを浴びたようだ(元々湯船を使わない人である)。

母「お父さん!お風呂気持ちよかったでしょ!」
父「うん。気持ちよかった(照れ笑い)」
母「でしょ。もう〜毎日入ればいいのに」

よかったよかった。とりあえずシャワーを一人で浴びることができると、わかってよかった。

しかし私も人のことは言えなくて、風呂って入るまではめんどくさくて、入ってしまえば「なんて気持ちいいんだろう」と思う…、その感覚はよくわかる。

皮膚に水がつくのって、いやなんだよな。たまに疲れすぎると顔に水がつくのが嫌で、拭き取り洗顔シート的なものを使ってしまう。

水ぬれといえば話が飛ぶが、昔、デザートがビュッフェ方式の大衆レストランがあったのだけど、そこではなぜかアイスを取る気になれなかった。アイス好きなのに。

なんでだろう?とよくよく考えると、備え付けのアイスディッシャー(アイスをすくう道具)の、手でつかむとこが常に水で濡れていたからだった。取手のぬれたディッシャーを一度使っただけで嫌になったのだ。

手がぬれるのは気持ち悪く、取っ手が水で滑るから力が入りにくくて指が痛くなる。アイスの種類は6種類もあったのに誰も近づいてなかったな。

ディッシャーの先端部分は水の入った器にさしてあった。ディッシャーの先端をきれいにしておくための措置だ。でも、アイスって盛り付けるとき、必ず先端が上向きになる。水が先端から垂れてきて、結局取っ手もぬれるのだな。

何の話だ?でもこの話、あながち介護と関係なくもないと思いなおしてみる。

自分でさえ、何かをしたくないなと感じるとき、すぐには理由がわからない時がある。父が何かをしぶったとして、その理由が本人によくわからないこともけっこうあるに違いない。

加えて…ウチの父はとんでもなく防御的な人で、弱みを見せたがらない。ある行動の理由を自分でわかっている時でさえ、はっきり言わないことかあるのだ…。

たとえば、家にあった小さな丸いおまんじゅうを突然全部捨て「〇〇(私のこと)が喉に詰めたらどうするんだ?危ないから捨てた」と言う。私が喉に詰めるわけない。私と母は「お父さんが自分で喉に詰めかけたから、こわくて捨てたのだろう」と推理したのである。

多分これからの介護生活、ちょっと何かを変えては観察と推理、また変えては観察と推理、てことが続くんじゃないかと思う。やれやれ。ではあるものの、少し興味を感じる(こんなふうに思うのは、まだ本当に大変な段階にないからだろう)。