原始的な優しさ

モチモチの木っていう絵本があって、大人になってから読みました。


夜一人でおしっこにいけない子供が、じさまが夜中倒れたときに、怖いのを我慢して真っ暗な夜道を走って医者を呼びに行くんです。

元気になったじさまは、その子に「自分で自分を弱虫なんて思うな」「人間優しささえあれば、やらなきゃならねえことを、きっとやるもんだ」て言います。

このじさまのセリフ、まだ私は咀嚼しきれていないんです。でも今の時点で思いついたことを書いておきますね。

私は常々自分は優しくない、優しいふりをしているだけだと思っています。なのですが、一度「あ、これが優しさか?」と自覚したことがあったんですよ。

はい、ここから、超〜くだらない話になります。それと、例の虫、Gが出てきます。Gが苦手な方は読まないでね。

わが家では、私が幼い頃からGが出ると、父は退治するふりをして自分だけ安全圏に移動し「おい、うまくやろうぜ」なんて言うので、ほんとダメ。たいてい母が勇ましくやっつけてくれてました。

二十年くらい前ですかね、またGが出て、母と妹と私でわーわー騒いでる時、追い詰められたGが、母の足元にまっしぐらに駆けていったんです。

そしたら母は、漫画みたいに「キャアー」て叫んで片足ずつぴょこぴょこ上げて、Gを必死に避けようとしました。

それ見て急にわかったんです、「あ、お母さんもほんとはゴキこわいんだ」って。そしたら急にその時だけ、私はGがこわくなくなって、気づいたら掃除機でヤツを吸いこみ、仕留めてました(吸ったあと、吸い口は一定期間ガムテープで封印する掟です)。

ほんとくだらぬ事例で恐縮なんですが、つらつら思い出すに、あのときの「この人もこわいんだ」「大丈夫だよ私がやる」という気持ちは原始的な優しさ(反射的な優しさ)であったような気がします。  

このことと、仕事で発揮するべき優しさについてはまた改めて書いてみたいです。