2024-01-29

「フィールド・オブ・ドリームズ」という古い映画がある。中学の頃にテレビで視聴して、すごくよかった。

同じ頃、どなたかのエッセイを読んでいて、フィールド・オブ・ドリームズについて「良い映画(原作のシューレス・ジョーがいいからね)」と軽く触れているのを見つけた。そのエッセイでは、他の映画についても「よかった(原作がいいからね)」と何度かカッコ書きで書かれていて、私はほーそうなのかーと素直に読み終えた。

脚色の重要さを知ったのは、もっと、ずっとずっとずーーーっと経ってからで、私は30歳をとうに過ぎていた。「アヒルと鴨のコインロッカー」というめっちゃ良い映画の脚本について、どなたかが、映画にしにくいストーリーなのに、よく原作(伊坂幸太郎著)を損なわずに、素晴らしい脚本にしあげた!と絶賛していたのだ。

そこに至ってようやく、あ、原作付きの映画の場合でも、原作を大切にしつつ、それでいて映画として面白い脚本へと練り上げるのは大変な力量が必要なのだ(当たり前なのだが…大汗)と教えられたのである。1からお話を作るのは素晴らしい才能だが、人のお話を脚色するのもまた違う方面の大変な才能が必要なのだと知った。

その後ネットの評判を注意して見てみると、原作が面白いのに映画がつまらないと言われるのはわりとよくあることなのだとわかった。

でも、いい映画について「原作がいいからね」ですまされることって今でも時々ある。原作付きの映画の脚本家って、いい映画になったら「原作がいいからね」と言われ、つまらなくなったら「脚本が原作を台無しにした」と言われてなんか報われにくいのではと想像してしまう。

その後、「舟を編む」というこれまたすげぇすげぇ映画を観て、私はこの映画の原作者、三浦しをんさんが好きだったから、「三浦さん、良いスタッフさんたちに映画化してもらえて良かったな〜」と読者としてとても喜んだ。俳優さんもスタッフさんの名前もほとんど覚えられない私だが、この時は素晴らしい脚色をされた脚本家さんの名前を是非覚えるべし!とググった記憶がある。渡辺謙作さんという方だった。

先ほどツイッターでこんなツイートを見かけた。脚色と脚本を分けて考えるべきではないかと。脚色は、1からストーリをを作る脚本とはまた違う難しい仕事だと。どうも脚色の仕事を、1からの脚本より低く見る傾向があるのではないか、それだから、脚本家が「自分は脚色だけでなく話を書けます」と言いたくなり原作に改変を加えてしまうのではないかとあった。そういうこともあるのか…?

映像業界のことは全くわからないが、原作、脚色、監督、それぞれの専門家の力が合わさって素晴らしい映像作品が生まれたとき、それぞれの専門家がそれぞれに才能を称えられることを願う。

追伸
舟を編む」は雲田はるこさんにより漫画化もされていて、これまたすげぇすげぇ良い。雲田はるこさんは三浦さんの「舟を編む」連載中、イラストを担当されていた。そのままのイメージでおもろい漫画になったわけで、奇跡!て感じだった。


追伸
三浦さんが大好きなオ◯ジョーが助演(西岡役)として出演してることも、勝手に嬉しかった。三浦さん大興奮だろうね〜とウチの妹と盛り上がった。