おじいさんと石のお話

その村の、うっそうとした森の先には、小さくつましいお家がありました。おじいさんはそこで一人で暮らしていました。

おじいさんには奥さんはなく、おじいさんのお父さんとお母さんはとうの昔に亡くなったので、おじいさんは一人なのでした。

でも、小さな山を一つこえた隣村には、おじいさんの妹夫婦とその娘夫婦、孫2人がにぎやかに暮らしていました。おじいさんは月に一回、妹のお家にでかけて小さな子供たちにお話をしてやるのをとても楽しみにしていました。

おじいさんは子供たちから「石のおじいさん」と呼ばれていました。おじいさんがいつも、自分の庭から石を持ってきて、その石にまつわるお話をしてくれるからです。

おじいさんの家も妹の家も山奥で、町に出るにはたいそう時間がかかりますから、めったに出かけることはありませんでした。こどもたちは二人で本を一冊しか持っていませんでした。二人はその本をぼろぼろになるまで読んで、お話をすっかり覚えてしまったほどです。ですから、子どもたちも、石のおじいさんのお話を聞くのを、それはそれは楽しみにしていたのです。

実のところ、おじいさんが持っていく石はごく普通の石でした。おじいさんは出かける前に家の周りの石をひとつふたつ、みつくろってポケットに入れます。尖ったもの、平たいもの、すじが入ったもの、動物に見えるもの。黒いもの、茶色いもの。できるだけ種類の違う石を選んでポケットに入れるのでした。

おじいさんは荷物を背負って歩き始め、ポケットから1つ目の石を取り出し、握ります。おじいさんはとなり村へ向かう道すがら、石の形、大きさ、重さ、色味、触った感触から、その石にふさわしいお話を考えるのでした。

その日、ちょうど昼前に妹夫婦の家に着くと、先客がいました。スケッチブックを抱えたすらりとした若者です。「こちらの方は旅をしながら絵を描いているのだそうですよ、お昼をごいっしょしましょう」と、妹は言いました。

みんなで玉ねぎのスープと黒パンをいただいたあと、おじいさんは子どもたちを呼びました。子どもたちは椅子に座ったおじいさんの両膝にそれぞれ腰を下ろし、目を輝かせます。

その日の石は淡い茶色の石で、どことなく猫に見えました。猫の背中部分に一本だけ濃い茶色の線が走っています。

おじいさんは話しました。自分が昔飼っていた、茶トラの猫の話を。その猫は犬と賭けごとをしているのを森の女神にみつかって怒りを買い、しましま模様を抜き取られてしまったのです。ただの薄茶色の猫になってしまった猫は嘆き悲しみ、女神にしましまを返してくれるよう頼みます。…

おじいさんのお話は長いのではしょりますが、猫は女神のいうことを守れず、死んで石になってしまいます。哀れんだ女神は猫の背中に一本だけ縞模様を返したのでした。…

子どもたちは猫が可哀想で、石をぼんやりと眺め、なでていましたが、そこに大きな拍手が響きました。パチパチパチパチ!画家が拍手しているのでした。

「おもしろい。あなたが考えたお話ですか?」

おじいさんは拍手なんかされたことがないので口ごもりました。その後、いつのまにかとんとんと話が進み、旅の画家はおじいさんの家にしばらく居候することが決まりました。「こう見えて僕は力持ちですよ。畑仕事でもなんでもお役に立ちます」
夜、二人でおじいさんの家に帰り、寝床を作り画家とおじいさんは休みました。

翌日から画家はおじいさんの手伝いを始めましたが、なにしろ一人暮らしの狭い家で、持ち物も少なく、食事も質素な有様ですから、猫の額のような畑を耕したあとは、もう二人はすることがなくなってしまいました。

「おじいさん、ほかのお話もおしえていただけませんか?」
若者が乞うので、おじいさんは以前のお話に使った石を探しだしてきて、石を握りながら、前の話を思い出し思い出し、忘れたところはところどころ作りながら、ぽつぽつ話してやりました。画家は石のスケッチをしながら耳を傾け、話が終わると感激して、僕、次にでかけた土地でこのお話をみんなに教えてあげてもいいでしょうか、と言うのです。おじいさんは照れて、こんなお話で良ければどうぞと答えたのです。

1ヶ月間、画家はおじいさんの家で過ごし、スケッチブックが石のスケッチでいっぱいになったころ、何度も振り返り、手を振りながら次の村へと旅立っていきました。

それから1年ほどだったでしょうか。珍しくサーカスが来るというので、おじいさんと妹夫婦一家は馬車に乗って、はるばる遠い町へと繰り出しました。みんな一張羅を着てウキウキしています。

町までは馬車で行っても半日かかります。子どもたちは馬車の揺れに疲れてねてしまい、到着する頃には一張羅の服にシワがついてしまいました。

馬車を降りると木陰に、人々が30人ほども集まっています。まだサーカスの始まる時間ではないですのに、何事でしょう。近づくと、ひときわ大きな声が聞こえました。

「女神がトラ猫に向かって片手を一振りするとどうでしょう!トラ猫は、ただのつまらない、茶色の猫に変わっていました。自慢のシマシマは女神の襟巻きへと抜きとられたのです!」

おじいさんと妹夫婦は背伸びしながら人の集まりを覗き込みました。画家でした。あのすらりとした画家が紙芝居をしていました。紙芝居には美しい女神のしなやかな手つきと、呆然とする茶色い猫が、鮮やかに描かれています。

おじいさんがぽかんと口を開けていると、画家は目ざとく気づきました。「やあ、皆さん。こちらの方ですよ。こちらの方がこの猫をよくご存知なんです。僕はこの方から猫の話を伺ったのです」おじいさんはもごもごと口の中でつぶやきながら、帽子をとって人々に挨拶しました。

どうやら画家の紙芝居はサーカスの前座のようでした。お話が終わると画家は「さあこのあと夕方5時から、楽しいサーカスが始まりますよ。場所は皆さんの後ろのそこの広場。腹がすかないように少しなにか召し上がってからお越しくださいね!」盛大な拍手の中、画家は恭しくお辞儀をして、サーカスのテントに向かって歩み去りました。

おじいさんは、妹夫婦たちを屋台に行かせ、自分はそのまま画家を追いました。

「あんた!まってくれ」
「ああ、これはこれは。ここでお会いするとは奇遇ですね。ご挨拶を忘れて申し訳ない」
画家は嬉しそうに微笑みました。
「あんた、さっきの猫の話はその…わしが子どもたちに作ったお話だろう?」
「ええ、そうですよ。僕、あまり面白いからみんなに教えてあげたくって。あなたにも許しをもらいましたよね」
「わしは…その…紙芝居になるとは思わなかったんだ」
「なにかお気に障りましたか?」
画家は礼儀正しく尋ねます。
「僕はあなたの話から着想を得て、立派な紙芝居を作りましたよ。この紙芝居を見て、サーカスの団長も僕を採用してくれたんです」
「着想?しかしあの話はわしの、猫の石の話そのままじゃないかね」
画家は辛抱強く答えました。
「ええ、そうです。ですから、僕はそのお話をより洗練させ、劇的な演出を施し、エンターテインメントに仕上げたんです。素晴らしいでしょう?ともかくあなたには感謝しています。他にもお話を教えていただけたので、僕としてはお話をよりすぐって、洗練された形に完成させたいと思ってます。すべてあなたの石から得た着想がもとになっています。素晴らしいことですよ。すみません時間がないので失礼」
画家は帽子をちょっとあげ、テントの中に入ってしまいました。

おじいさんはとぼとぼと屋台に戻りました。子どもたちと美味しいソーセージを食べても、おじいさんの心は浮かないままでした。それどころか、サーカスのテントに入って、子どもたちや大人たちの歓声に囲まれてもおじいさんはうわの空でした。

わしの家には背中にしまが一本入った猫の石がある。あの石はわしのもので、お話はわしと子どもたちのものだ。確かにわしはあの画家に、他の村で話してもよいといった。でもなぜだろう、わしのお話はもう、わしのものではなくなってしまった気がする。おじいさんは、自分でも理由のわからない悲しい気持ちでいっぱいで、球乗りする象の姿すら、目に映らないのでした。

【おわり】