目に入らないことと記憶にうもれること


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父がまた体調崩した。今回は前よりも重い。昨日、すわ、とばかりにまた介護用品を買いに走った。

でもないんだわ色んなものが。うちの近くのドラッグストア、口腔ケア用品、ないなー、吸い飲み、ないなー、てことで結局アマゾンに頼んでしまった。

で、今日はおしりふきの残りが頼りないのでまた買いに走ったのだけど(おしりふきはさすがにあるやろと)、そしたらあったよマツキヨさんに。おしりふきと、あとふつ~に吸い飲みも口腔ケアグッズもあった。

なんで昨日買いに行ったときは吸い飲みと口腔ケア用品、ないように見えたんだろう?すっごい不思議。

目をかっぴらいて棚を見たのだが…。よく使う店だから、棚のどこに何があるかをわかってるつもりだったのに。

自分に関係ないとみなしてるものって、目を当てても見てはいないんだなあとしみじみ思った。

そこからまた話は飛ぶ。

去年、どーしても読みたくなって大昔ドハマリした漫画「星の瞳のシルエット」を電子で買い直した。

その3巻目のカラー扉絵を見た瞬間、紐を一気にほどかれたみたいな強い解放感を感じたのだった。

主要キャラクター5人が、船の甲板の上で軽やかな夏服に身をつつみ、寛いだポーズを取り…背景には空と海、入道雲。帽子を押さえて笑う主人公。こうして思い浮かべるだけでもおかしいくらいに自分もリラックスしてくる。

この扉絵は連載時期からいって、りぼん本誌で見たはず。だが、正直今まで特に思い出すことはなかった。

大の字で寝転がるようなこの解放感はなんなんだろう?推理するに、この扉絵の入ったお話が、恐らく7月終わり発売の9月号に掲載されたのだろう。7月末に読んだので、扉絵と自分の夏休み冒頭の解放感がセットとなって、記憶にしまわれたのだろう。

目にあてても見ていない。目に当ててしっかり見ても記憶の底にうっちゃって四十年くらい思い出さない。そんな感じで目を使っているのに目はちゃんと疲れて、もう老眼の入り口だわな。

今日見た何かって10年後にはもう思い出せないんだろうな。なんのために目を疲れさせたんだろうとちょっと寂しくなる。でもこの日記を書いたから吸い飲みのことと扉絵のことくらいは思い出せるだろうか。自分が吸い飲みを使う頃に?